「潰瘍性大腸炎」の症状が出ました。
こんばんは。理系大学生のTezuです。
今回は高校入学から潰瘍性大腸炎の症状が出るまでの話を書いていきたいと思います。
大学での実験、研究室の活動も始まり忙しい日々が続き、一カ月も更新できませんでしたが、よろしくお願いいたします。
高校入学
体調を崩しながらもなんとか合格を勝ち取った志望校での高校生活。
制服のない自由な校風での生活をとても楽しみにしていたのを覚えています。
高校での生活が始まる頃にはすっかり体調も良くなり、好きなものを食べ、好きな事をする生活をしていました。
入学してすぐに始まった部活動や文化祭での活動の勧誘。
様々な選択肢の中から僕はラグビー部に入る決断をしました。
この後の高校3年間で僕は毎年入院しながら部活をすることになるのですが、本当に良い仲間に恵まれたので、良い選択をしたと思います。
ラグビー生活
屈強な体を持つ先輩方に憧れてラグビー部に入部した僕は、これまでの食生活を変え、休み時間のたびに必ず何かを食べるようにし、自宅では食事に一時間はかけるような生活をしていました。
高校入学時に173cm 63kgほどの体格だった僕ですが、2カ月も経たないうちに70kgまで体重を増やすことに成功しました。
当時の食事を思い出すと、
1限休み おにぎり2つ
昼休み 弁当
3限休み おにぎり1つ
部活後 プロテイン
夕食 どんぶり2杯
と普通の高校生と比べるとかなりの量の食事をとっていたと思います。
これだけの食事をしても体調は全く崩れず、順調に体重を増やせていたので、当時は受験のころに体調を崩していたことはすっかり忘れていました。
突然の腹痛
高校に入学して2カ月。高校からの課題に追われながらもラグビーというスポーツを楽しんでいた僕ですが、ある日を境に潰瘍性大腸炎の症状に襲われるようになります。
あまりにも突然におなかの調子が変わってしまったので、その日のことはよく覚えています。
その日も普段通り部活があり、ウエイトトレーニングをしていました。
前日に雨の中試合があり、見学をしていた僕は、体を冷やしたのか少しおなかが緩くなっていました。
トレーニングを終えた僕は、おなかが緩くなっていたので悩みつつも、いつも通りプロテインを飲んで、自転車で駅に向いました。
駐輪場に自転車を置いて、駅に向かおうとしたとき、これまでに感じたことのない腹痛に襲われました。急いでコンビニのトイレに駆け込んだのですが、あまりの腹痛に我慢することができず、練習着のスパッツの中に漏らしてしまいました。
スパッツのおかげでまわりは汚さずに処理できたのは良かったのですが、腹痛の感覚から、高校受験のときのおなかの不調を思い出し、とても不安になりました。
またしばらくおなかの不調が続くのかな?と思いましたが、残念ながらその予感は的中し、夜中から朝まで下痢が続いていたので、次の日は学校を休むことになりました。
病院へ
学校へいくのが厳しいほどおなかの具合が悪いということは初めてのことだったので、すぐに病院に向かいました。
食事の面ではうどんなどの消化に良いものを食べるようにし、何日かは整腸剤で様子をみたのですが、一向に調子は回復せず、血便の症状も出てくるようになりました。
病院で診察を受けているときにも腹痛に襲われトイレに向かい、そこで便の様子を見た先生が大学病院で診察してもらうことを勧めてきました。
そして向かった大学病院で僕は「潰瘍性大腸炎」の診断を受けることになります。
その後、潰瘍性大腸炎の診断を受けてから一カ月たった七月末に僕は初めての入院をすることになります。
次回のブログでは診断を受けた頃から入院するまでのお話について書いていきたいと思います。
それでは、今回はこの辺で失礼します。
最初の症状
こんばんは、理系大学生のTezuです。
今回からは、僕がどのような症状を持ち、どのような経緯で手術に至ったのかを書いていきたいと思います。
潰瘍性大腸炎は人によって症状が違い、それによって手術後の経過も変わってくると思います。(高校時代、3人の友人が潰瘍性大腸炎と診断されましたが、誰もが違う症状を持っていました。)
そのため、手術を検討している人に少しでも多く検討材料を増やしていただきたいと思い、僕の闘病生活を振り返ることにしました。
今回は潰瘍性大腸炎と診断される前のお話を書いていきたいと思います。
最初の症状
僕が潰瘍性大腸炎と診断されたのは2012年の7月です。
症状が出始めたのは、その約半年前からでした。
中学校三年生だった僕は高校入試直前の模試の結果が良かったこともあり、志望校を安全圏から合格圏へと変えて、受験勉強に励んでいました。
3月に行われる受験を2カ月後に控え、段々と受験のプレッシャーが迫ってくるようになるころから、病気の症状も段々と出てくるようになりました。
最初に異変を感じたのは1月頃でした。
基本的には健康で、おなかを下すといってもたまにある程度で、すぐに治っていた僕でしたが、下痢が治らなくなりました。
いつもなら1日や2日もあれば治っていた下痢の症状が止まらなくなったのです。
時期も時期でしたので、おなかを冷やしてしまったのかなとあまり気にしていませんでしたが、一カ月も続くと不安にもなってきました。
初めての血便
下痢の症状が治らなくなってから一カ月近く経つころには、回数も増えていき、午前3時に一回、5時に一回と夜中にトイレに起きることも増えてきました。
2月に入り、受験も一カ月後に迫っているということでストレスもあるのだろうと思い、いずれ治るだろうと考えていました。
しかし、ここで当時の僕にとって衝撃的なことが起きたのです。
いつも通り夜中に便意がきてトイレに向かい、用を足したあとに便器を除くと、便器の中が真っ赤に染まっていました。
これはヤバいと思い、病院に向かいました。
最初の診断
血便が出て最初に僕はいつもお世話になっていた小児科に向かいました。
何か大きな病気ではないのか心配でしたが特にそういうものではなく、受験に
よるストレスと、便の回数が増えたことによる影響ではないのかとのことでした。
その時はとりあえず大きな病気ではなさそうというのに安心し、整腸剤などのお薬をもらいました。
一時的に元の生活に・・・
このころは日中に何度もトイレに行くというような状況でなかったので、高校受験も何とか切り抜け、無事に志望校へと合格することができました。
受験が終わるとストレスから解放され、徐々に便の回数も減り、下痢も治っていきました。
受験も終わったし、もうストレスになるものはないから、気にしなくていいやーと思っていたのを思い出します。
しかし、高校入学後、受験期よりも症状が悪化し、潰瘍性大腸炎の診断を受けることになります。
次回は高校入学から診断を受けるまでのお話などを書いていきたいと思います。
それでは、今回はこのへんで失礼します。
手術から半年が経ちました。
こんばんは。理系大学生のTezuです。
今回は大腸全摘手術を受けて半年後の今の生活について書いていきたいと思います。
手術後の生活
2018年の2月に大腸全摘手術を受けてから約半年が経った9月の中旬にこのブログを書いています。
結論から言いますと、「手術をして良かった」と僕は思います。
食事では基本的に好きなものを食べていますし、運動も何も気にせずしています。
便の回数は一日に8回程度だと思いますが、正直気にならないので数えていません(笑)
食事の面で言えば、手術をする前はなるべく食べないようにしていたカレーライスや二郎系のラーメンも今では好きなタイミングで食べています!
テスト前は毎日のように学食でカレーライスを食べていました。
悪いところでいうと、ずっと便が緩い状態なので、ガスが抜けないときは便の回数が増えることでしょうか。
人によっては便が漏れるというのを聞いたことがありますが、僕の場合は手術直後だけで、退院してからはほとんどありません。特に、日中に漏れたということはないです。
確かに手術前の調子がいい時の生活を送ることはできなくなりました。しかし、僕にとっては手術前の「いつ調子が悪くなるか分からない」という状況よりも今の方が精神的にもだいぶ楽になったので、本当に手術をして良かったなと思います。
次回からは、僕が潰瘍性大腸炎によってどのような症状が出ていたのか、どんな治療法を行っていたのかなど書いていきたいと思います。
それでは、今回はこの辺で失礼します。
ブログ開設のきっかけ
はじめまして、理系大学生のTezuと申します。
初投稿の今回はブログ開設のきっかけについて書いていきたいと思います。
手術を決断するまで
2012年の6月に潰瘍性大腸炎の診断を受け、2018年の2月に大腸全摘・回腸嚢肛門管吻合術により、大腸を全摘しました。
手術を決断するまで
- 大腸がなくなったらどんな生活になるんだろう
- いままでのように生活できるのだろうか
- 普通の食事はできるのだろうか
- 就職はできるのだろうか
などの不安がありましたが、最後まで不安は拭えないまま手術を迎えました。
手術を決断するまでに僕が思っていたのは、手術をした人の
- 手術前の症状
- 術式
- 手術後の生活
といった情報がもっと得られれば不安が多少なりとも解消できるのではないか?ということです。
そこでこのブログを通じて、手術を検討している方の参考になればと思いブログを書き始めることにしました。
次回からは手術をして半年経ったいまの僕の生活や、手術に至った経緯などを書いていきたいと思います。
それでは、今回はこのあたりで失礼します。